こんにちは。
島の村踊りが国の重要部系文化財に指定されている事は、前回の「重要無形民俗文化財「伊江島の村踊り」をご存じですか?YouTubeでも配信予定!」でご紹介させていただきました。
今回はその発表会の様子と、村踊りが誕生した経緯も合わせてお伝えします。
伊江島の村踊りの誕生秘話
「伊江島の村踊」は先人の遺した貴重な芸能で、「ヤマト風芸能の踊り」「島で創作された踊り」「沖縄本島や他の地域などから伝来して来た踊り」の三つに分けることができます。
「ヤマト風芸能の踊り」
琉球王朝時代に、伊江島を治めた領主が首里に居住した際に、島で選ばれた人がその屋敷の奉公人となりました。
その奉公人が、琉球王朝の命令で領主が薩摩や江戸に行く際に、随行しその時に見聞きしたヤマトの芸能を持ち帰り取り入れたものが、後に伊江島の村踊になったとされています。
このヤマト系芸能は伊江島の独特な芸能であり、重要無形民俗文化財となる大きな要因となっているそうです。
「島で創作された踊り」
琉球王府では、19世紀に入って教育奨励のために地方にも会所(クェージュ)が置かれるようになりました。
伊江島でも「会所」が置かれ、そこで学ぶ青年たちが、地元に伝承される民謡に踊りの振りを付けて島の人びとに正月などに披露する事がありました。
それが後に村踊に組み込まれました。
会所は「学問」と「村踊」の発祥の地として島の教育や文化の発展に大きく貢献しました。
「沖縄本島や他の地域などから伝来して来た踊り」
本島に渡った際にそこで見聞きした踊りを島に持ち帰り披露したものだと思われます。
8区の字から代表的な踊りを披露 YouTubeタッちゅんで配信!
今年は11月6日㈯に、「踊りニーバナ」といわれていた伊江中学校グランドから、『“村踊の原風景を訪ねて ~舞てぃ 拝ま~”』と題して村踊の発表会をお届けする予定でした。
残念ながら生憎の悪天候で、急遽改善センターに会場が変更となりました。
当日は幕開けの時に、伊江島に道場がある琉球舞踊『藤の会 伊江支部』から「かぎやで風」と「四つ竹」の2点が披露されました。
村踊とは趣を異にした、琉球舞踊にも少し触れる事ができました!
当日の様子はYouTubeでライブ配信されたので、伊江島のイメージキャラクター「タッちゅん」のYouTubeから今でも見ることが出来ます。
当日のライブ配信では、県内外外国からも視聴している方がいて、300回以上のアクセスがあり、リアルタイムで島の村踊りを堪能したようです。
ちなみに私も「四つ竹」に出場しています。
久々の舞台でもあり、この年になって人前で踊ることに戸惑いもありましたが、二度とない機会だと思い踊る事にしました!
神聖な舞台で伝統的な村踊りという祭事の場で踊らせていただいた事に感謝します。