こんにちは。
今回は、前回ご紹介した阿良の御嶽・阿良の浜の近くにある「スィズィ二毛」という隠れた名所と、それに関連する伊江島の歌「アヤメ歌」そして「首里クェーナ」について紹介します。
1.伊江島の「アヤメ歌」と「首里クェーナ」の不思議な縁
「クェーナ」とは、琉球の古謡のことで、女性だけで歌う祈りの唄です。
内容は、築城工事の無事竣工を祈る歌や、旅立つ男たちの無事帰還を祈る「旅クェーナ」や「ダンジュカリユシ」などの他、豊作と国家の安泰、繁栄を祈る歌などがあり、祈り合っていたものが踊り合い(ウドゥエ)へと発展していったものです。
伊江島の「アヤメ歌」は「首里クェーナ」から伝わったとされています。
いつ、どこで、誰が伊江島に伝えたのか定かではありません。
ですが、琉球王朝時代、首里のお城に務めている男性の奥様たちが、お城の麓にある円覚寺で「首里クェーナ」を歌っていたとされています。
伊江島にあるお寺「照太寺」は、円覚寺の末寺といわれているので、何かしらの関連があるのかもしれません。
2.伊江島の「アヤメ歌」とは?
沖縄ではお姉さんの事を「アヤー」と呼んでいました。
「アヤー」に敬称の「メー」を入れて「アヤーメー」。
「アヤーメー」たちが歌う歌がいつの間にか「アヤメ歌」になったと言われています。
円陣になり、鼓を持っている人が、鼓を打って調子を取り、音取りが歌いだすと他の人もそれに合わせて歌います。
歌いながら祈るように手を合わせる動作を繰り返し、円を回ります。
伊江島で歌われている歌は「ダンジュカリユシ」「旅クェーニャ」「クェーニャ節」「シタリー節」「モーイ歌」の5曲です。
「出産祝い」や「新築祝い」等でも歌われましたが、戦後「アヤメ歌」は歌われなくなりました。
それは戦中、旦那さんや子どもの無事を祈願して「アヤメ歌」を歌い、戦場に送り出したのですが、その多くは帰らぬ人となったからです。
「この歌を歌うと旦那や子ども達の事を思い出す」と、誰も歌わなくなりました。
しかし、近年、「アヤメ歌」は大切な人の幸運を祈る歌で、その思いは尊いもので継承すべきだとして、保存会が立ち上げられました。
3.旅立ちを見送る地「スィズィ二毛」
阿良の浜のから少し東側に行った所に海に突き出した岩があります。
そこは「スィズィ二毛」と呼ばれ婦人らが「アヤメ歌」を唄い旅立つ人の無事を祈願し、見送った場所です。
「スィズィ二」とは「鼓」の事です。
アヤメ歌は鼓だけで伴奏するため、鼓を打って旅立つ人の無事を祈願した所なので「スィズィ二毛」と呼ばれるようになりました。
戦時中、「阿良の御嶽」で出征する人の無事を願い、船が出ると同時に婦人らは「スィズィ二毛」で「アヤメ歌」を歌い、船を見送ったのだそうです。
阿良の浜に降りると、海の澄んだ蒼さが目に飛び込んで来ます。
どこからか「スィズィ二」の音と共に「アヤメ歌」が聞こえてくるようです。