ちからタンナーパだけじゃない!伊江島の力持ち伝説

ちからタンナーパだけじゃない!伊江島の力持ち伝説

こんにちは。

伊江島には昔からたくさんの力持ち伝説があるというのはご存じですか?

「ちからタンナーパ」は有名ですが、他にもたくさんあります。

今回は、一般村民が小さい頃から耳にした『伊江島の力持ち伝説』をご紹介します!

1.「ちからタンナーパ伝説」

昔々伊江島の屋富祖(ヤプスンジ)森の近くにタンナーパ(玉那覇)という大きな男がいました。

タンナーパは、子どもの頃から大人顔負けの力持ちでした。

そんな彼が20歳になった頃、平和で豊かな伊江島を占領しようと、隣村から大勢の兵隊が島に攻めてきました。

そこでタンナーパは村の人に、かまどの灰を持って来させ、島の中央に立っている城山の中腹に集めました。

隣村の兵が城山を取り囲んだ時、タンナーパの号令で村人たちは一斉に灰をまきました。隣村の兵隊たちは、灰が目に入り目が見えなくなってしまいました。

すかさず、タンナーパは、城山の頂上から大きな岩を崩しては投げ、崩しては投げて敵を追い払ったのです。

その時、タンナーパが踏ん張った足跡が今でも城山の頂上に残っています。

それ以降、力持ちのタンナーパということで、「ちからタンナーパ」という名前で呼ばれ、島の救い主として崇め称えられ、現在まで語り継がれています。

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2.もうひとつの力持ち伝説「安里五郎」

ミースィ公園の入り口にある安里五郎の像も力持ち伝説の一つです。

五郎は剛力であったことから、大力者(ウプテームン)安里五郎(アサト グラ)と呼ばれていて、角力では島内では誰も彼に勝てませんでした。

そんなある日、那覇の青年と伊江島の船乗りと数名で角力をとることになりました。

始めは伊江島の劣勢が続いていましたが、最後に戦った五郎が次々と倒し、伊江島に勝利をもたらました。

人々は総立ちになり「伊江、ハッチャン(勝った)」と凱歌を上げ、それが訛って「進取の気性」や「負けん気性」など島人の気質を表わす「イーハッチャー」という言葉になったそうです。

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3.その他の力持ち伝説

伊江島の力持ち伝説はまだまだあります!
伊江村史に載っている3名もご紹介しましょう。

■ パンセド大荒(オーアレ)
パンセドは屋号。大荒は体躯が大きかったことからそう呼ばれていたと言われています。

■トーブシ徳内間
豆腐臼を持ち上げたのでそれを貰って帰って来たとか、唐の武士のように強かったからそう呼ばれたともいわれています。

■ちからポート
10人でも持ち運べない金魚鉢を一人で運んだという逸話があるほどの力持ちだったそうです。

 

 

力持ち伝説に現れるアイデンティティは、現在まで脈々と受け継がれていて、伊江島では今でも相撲が盛んです。

県代表として全国相撲大会に派遣される程、力自慢の子ども達が育っています。

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