伊江島の歴史を語る「ため池」の物語り

伊江島の歴史を語る「ため池」の物語り

こんにちは。

突然ですが、生物が命を繋ぐのに欠かせないのが「水」ですよね。

伊江島の先人たちは、その水を確保するために池を掘り、戦前には45個ほどもあったそうです。

池は、島民が体を洗ったり、牛や馬に水浴びをさせたり、収穫した芋や野菜などを洗う所でもありました。

そこで今回は、伊江島にある池のなかでも歴史的に重要な「唐小堀池」と「押パ堂池」の2つをご紹介します。

唐小堀池(ハラクブブチャ)

唐小堀池は、城山の西側にあるため池です。

「冊封副使」と呼ばれる中国からの使節だった徐葆光(じゅほこう)という方と所縁があります。

徐葆光は、著名な風水師でもありましたが、中国(唐)の冊封副使として、1719年に伊江島に来島しました。

その際に

城山と山クシに火難の相があるから、これを消すために中間に池を掘った方が良い

と言われたので村人は、早速、池を掘りました。

唐の徐葆光の勧めで掘った池なので、いつしか「唐小堀池(ハラクブブチャ)」と呼ばれるようになったそうです。

また、この池は島の中央にある事から多くの島人に広く利用され親しまれてきたそうです。

その頃「琉球王国」という国であった沖縄は、中国との交流が盛んだったという歴史の事実を「唐小堀池」が証明してくれているような気がします。

また、唐小堀池の周りには、伊江島の力持ち伝説で有名な「力タンナーパ」が一人で城山から運んできたものだとものだといわれていた縁石がありました。

残念ながら、改修工事が行われたために、この縁石はなくなっています。

押パ堂池(ウシャパドゥ池)

ウシャパドゥ池は現在の中央公民館・農村環境改善センターの駐車場の敷地にありました。

ここは番所(現在の役場)があったところです。

風水で占ったところ

番所の前に池があった方が良い

といわれたので掘った池とされています。

現在は中央公民館・農村環境改善センターの駐車場となっています。

 

いかがでしたか?

今では、地下ダムも完成し、農業用水にも困らなくなり農作物も育てやすくなりました。

飲料水も湧出の水や海底送水で本島から運ばれるので断水の心配は少なくなり、池の水ですべてを賄っていたころと比べると隔世の感があります。

かつてここで暮らしていた人々は、その時々で、より良い幸せを求めて知恵を出し合い生きてきました。

その頃の人々の暮らしが今につながっていて、これからはどうつながっていくのか、今ここで生きている私たちの手に、未来の幸せがゆだねられているのですね・・・。

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