こんにちは。
前回は伊江島の北海岸の歌碑についてご紹介しました。
今回取り上げるのは、「功績を残した偉人」についてです。
その偉人とは、今から100年以上前に、沖縄県内の学校の校長や三代目の伊江村長も務めた名嘉元貞一さんの息子3名です。
その功績とはいったい何でしょう?
早速見ていきましょう!
1.三大歌人について
貞一さんには8人の子どもがいましたが、特に偉大な功績を残したのが、長男の精一、次男の貫一、三男の俊一の3人です。
長男の精一さんは、「名嘉元浪村」という雅号で活躍しました。
次男の貫一さんは、「江島寂潮」といい、小説を書く事や短歌を詠むのが得意でした。
三男の俊一は「小林寂鳥」という雅号で、多くの作品を残しました。
2.芳魂の塔
芳魂之塔には、長男の「名嘉元浪村」の短歌が刻まれています。この方は、伊江小学校19代目の校長になりました。伊江中学校校歌の歌詞も作りました。
ひねもすを とヾろ とヾろと 潮騒の
声をまくらに ここだくも
眠れる霊の 夢まどかならむ
「一日中 潮騒の音を枕にして この塔に眠っている戦没者の霊の夢も穏やかだろう。」という意味ですが、「これからは平和な世の中になりますのでどうか安心して穏やかな心で眠って下さい。」という作者の想いを感じます。
芳魂之塔という名は、長男の浪村、次男の寂潮、3男の寂鳥の3人で名付けました。
「芳魂」とは「美しい魂」を指しています。戦争で亡くなってしまった人々の事を思いつつ、平和な世界が続いてほしいという願いが込められています。
3.城山の歌碑
城山の登山道の右側には、三男「小林寂鳥」の歌碑が建っています。この方は、伊江小学校校歌も作詞しました。沖縄で第一号の農学博士になり、第5代琉大学長を務めました。
濃き山も あたりに生うる 緑葉も
その座を占めて 海と照り合う
「城山は濃い緑色で あたりに生えている木々の葉は、一枚一枚それぞれに命を輝かせて、海と照り合って美しい。」という意味ですが、島の子ども達が、一人一人輝ける人になってほしい。という作者の願いが込められた歌です。
次男の「江島寂潮」の歌碑は、残念ながら伊江島にはありませんが、小説や短歌など多くの作品を残しました。
いかがでしたか?
名嘉元家では、お正月に百人一首をするなど、文化の香り高い家でした。嬉しい時、悲しい時、短歌を詠んで心を奮い立たせていたのかもしれません。
いまでも所縁ある歌碑が残されているので、伊江島にお寄りの際は、ぜひ見に来て下さい。